2008年04月06日
ヌヌマチガマ
今回の沖縄への下見の目的は、ヌヌマチガマを見てくること。
轟ガマに3クラスは時間的にもったいないということで、
旅行社より提案があり、念のために見てこようかな、と。
それが全然わからなかたっです、場所です。
小一時間うろうろしてました。サトウキビ畑・花畑の間です。
やっとのことで発見して安堵した次第です・・・。
地図つけておきます、畑の中なのでわかりにくいです。
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WEB 沖縄平和ネットワーク より転載
http://okinawaheiwa.net/bg/nunumachi/nunumachi.html
ヌヌマチガマとは
沖縄本島南部の具志頭村字新城にある自然洞穴で、全長約500メートル、東西にそれぞれ大きな洞口を開き、東側を「ガラビガマ」、西側を「ヌヌマチガマ」と呼んでいる。
沖縄戦の始まる前、第24師団歩兵第89連隊第2大隊が治療室として使用していたが、1945年4月下旬、東風平町富盛の八重瀬岳にあった同師団第一野戦病院が、軍医1名、看護婦1名、女子学徒(白梅学徒隊・第二高女)3名を派遣し新城分院として開設した(のちに増員され、軍医2名、女子学徒5名となる)。
閉鎖されるまでの1ヶ月余、地元女性の動員(炊き出しなど)や女子学徒らの不眠不休の勤務で、中部・首里戦線から送られてくる負傷兵の治療が行われた。しかし、人員と薬品の不足で治療と呼ぶにはほど遠かった。負傷兵は最も多い時で1000名を越えたと言われる。
6月、戦線切迫のため第一野戦病院も南部撤退を決め、6月3日、新城分院は閉鎖された。その時、置き去りにされた患者兵は、本部命令によって自決を強要された。
4日、第一野戦病院は、国吉(現糸満市字国吉)方面の壕に撤退した。その時、女子学徒は解散の命令を言い渡され、その後各自で南部戦場を彷徨することになる。
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